書籍の備忘録と時折日常を

読むだけだった本のアウトプットをしたくなり

神様はいるのかいないのか、実存か概念か

絶賛読んだ本をノートにまとめ中なので、日々考えている事を書きたいなと思います。

 

題名の通りですが、このブログを読んでくださっている方は、神様はいると思いますでしょうか?

もちろんどちらが正しくてどちらが間違っているなんてことはないですし、どちらの考えでも上手く付き合っていければ良いと考えます。

 

ちなみに、私は「世間一般でいう神様は存在しない」と考えるタイプです。

(小学校〜高校まではキリスト教、大学は仏教だったんですが、)

 

以下、神様を信じている人はあまり良い話ではないので、お読みにならない方が良いかもしれません。

せっかく本ブログにお越し頂いたのに申し訳ありません...。

 

 

 

 

 

 

それでは本題です。

「世間一般でいう神様は存在しない」と考えるタイプとお伝えしましたが、少しわかりづらいと思うので、詳しくお話しします。

 

そもそも世間一般でいう神とは、

①人間を超越した威力を持つ、かくれた存在。人知を以てはかることのできない能力を持ち、人類に禍福を降すと考えられる威霊。人間が畏怖し、また信仰の対象とするもの。

キリスト教で、宇宙を創造して歴史を司る、全知全能の絶対者。

広辞苑より

を意味しています。

 

祈れば助けてくれる、儀式をすれば舞い降りるなどなど。

私は「このような神」は居ないと考えています。

神が存在するのであれば、なぜ無慈悲な殺人事件や誘拐事件、戦争が起きるのでしょうか。

なぜ世の中格差が激しいのでしょうか。

なぜイジメが無くならないのでしょうか。

 

冒涜になるかもしれませんが、祈るって誰に何をする行為なんだろうと疑問に思いながら過ごしていました。

もちろん、神様を信じている人は神様・イエス様を対象としているのでしょうが。

 

私はそう言った神様を信じていないので、祈っている時には毎回そのような疑問を抱いています。

 

なので、日々信仰している人の考えには興味がありました。

なぜ信仰するのだろうか

本当に信じているのだろうか

すぐ近くで熱心な信者がいなかったので、私なりに調べた回答ですが、

根本にあるのは『信じていた方が前向きになれるから』なのかなと思いました。

何か困った事があったときに縋れる(すがれる)存在、失敗した時でも神様が助けてくれると心で考える事が出来れば前向きになれる

そう言った事が信仰する理由の一つかなと。

(あくまで無神論者の考えなので、違うことも充分に考えられます。それは違うというお考えがあれば、ぜひコメントお願い致します!)

 

前向きになれるという点は大いに納得できます。

どれだけ失敗しても、誰かが・何かが支えになっていればとっても心強いですし、それだけで頑張ろうと思えます。

 

神を信じている人は、何かあったとしても神様がきっと助けてくれると考えているのかなと思います。

お祈りや雨乞いも同じ類ではないでしょうか。

 

つまり

何を信仰していようとも、目的は「救われたい」事ではないでしょうか。

 

神様なら今の状況を・将来の不安を救ってくれると考えているからこそ、信仰しているのだと思います。

 

ということは

何に対しても、救いを求められる概念的存在があれば、それは神的存在になり得るのではないのでしょうか。

 

そう思うと、〇〇教といっているとのは、

誰かが概念的神を信仰し、それを周りに広めて出来上がった集団ともとれます。

 

全知全能の神はいないが、人それぞれの心の中には概念的神を入れることは出来る

そのように思っています。

 

世の中で言う神は

実存しておらず、概念で存在する

というのが私の考えでした。

 

あんまり文章がまとまっていないかもしれませんが、その点はお許しください(笑)